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2008年05月21日

運動会のこと

こんな歴史の移り変わりがあるんですね。
本当にびっくりしました。

1980年代後半?1990年代前半にかけて、単純な勝ち負けによる過度な優劣意識をこどもたちに感じさせないことをめざして、一部の学校では、徒競走などで一緒に「手をつないで一緒にゴールを切らせる」といった試みも行われ、現在もこれを続けている学校や地域も存在する。この試みについては、人間相互の協力を促すことにもつながるとして肯定もされているが、運動会から「運動能力の優劣を競う」という競技性を弱めることにつながり、また運動を得意とするこどもから個性を生かす場を奪っているのではないかという批判もあり、試みの是非について議論を呼んでいる。この議論を受けて、最近では徒競走の組をタイム別にし、更に男女混合にするなど、新たな試みも現れ始めている。


また、特に中学校において、入場行進の際に来賓席に向かってのナチス式敬礼を強制することがあり、厳しい管理教育で知られた千葉県や愛知県の一部地域では、1990年代まで普通に行われていた。このほかにも中学校や高校での部活行進は閲兵式の役目も持っているといわれるなど、(賛否は別として)軍国主義の名残もみられる。

種目によっては裸足になる場合もある。騎馬戦など靴を履いたままでは危険な種目があるためである。

この運動会の模様を保護者がカメラやビデオにおさめるという光景もよく見られていたが、(特に、父親が)運動会の前日から校庭に居座ってしまうなど、保護者間での場所取りがあまりにも過熱し、学校側が危険と判断したり、あるいは近年の個人情報保護や防犯上の観点から、委託した専門の業者以外の撮影を禁止している学校も現れている。

また、運動会の昼食は、学校のグラウンドや校庭で、保護者が持ち寄った弁当を子供と一緒に食べるといった光景がよくみられるが、近年、親戚までもが集まって盛大に行う地域もある一方で、「保護者が来られない家庭の子供がかわいそう」といった意見もあり、学校側が弁当を用意して教室で食べさせたり、普段通りの給食を出す地域も増えている。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
デリヘル 池袋
デリヘル 鶯谷

2008年03月19日

暗い哲学者ヘラクレイトス


ひどい言われようですね。
本当にかわいそうです…・


エペソスで生まれた。王族の家系に生まれたという説があるが詳細は不明である。父はプロソンまたはヘラコンという。ヘラクレイトスがエペソスの貴族階級に属したことはおそらく間違いがない。政治に関しては民主制を軽蔑し、貴族制の立場を取った。誇り高い性格の持ち主で、友人のヘルモドロスがエペソスの民衆により追放されたことに怒り、政治から手を引いた。ディオゲネス・ラエルティオスによれば、のちにエペソスの人は国法の制定をヘラクレイトスに委託したが、ヘラクレイトスは友人を追放したエペソスの国制を悪しきものとみて、かかわることを拒否した。そしてアルテミス神殿に退いて子どもたちとサイコロ遊びに興じたため、人々が不審に思い理由を尋ねると「おまえたちと政治に携わるより、このほうがましだ」と答えたという。水腫に係り、医者に見せることを拒んで、自分で治療を試みたが死んだと伝えられる。


著作
著書といわれる『自然について』は現存せず、引用によってのみ断片が伝わる。この書は『万有について』『政治について』『神学について』の三書を総合したものであるともいわれる。


思想
アナクシマンドロスから対立と変化、ピュタゴラスからは調和の考えを受け継いだ(ピュタゴラスに対しては、しかし、いかさま師であると述べている)。

万物は流転していると考え、自然界は絶えず変化していると考えた。しかし一方で、その背後に変化しないもの、ロゴスを見ている。ヘラクレイトスはまたロゴスは火であるといった。変化と闘争を万物の根源とし、火をその象徴としたのである。燃焼は絶えざる変化であるが、常に一定量の油が消費され、一定の明るさを保ち、一定量の煤がたまるなど、変化と保存が同時進行する姿を示している。そしてこの火が万物のアルケーであり、水や他の物質は火から生ずると述べられる。ただし、これらの考え方におけるアルケーの概念は、「万物のアルケーは水である」としたタレスなどのそれとは異なっている。この「生成」の思想は、パルメニデスの「存在」の思想としばしば対立するものとして見られてきた。もっとも、井筒俊彦によれば、実際には同じ事柄(形而上学における根源的な部分)を異なる面から述べているにすぎないという(『井筒俊彦全集1 神秘哲学』参照)。ヘラクレイトスの言葉としては、プラトンが引用している「万物は流転する」(Παντα ρει., Panta rhei.)がもっともよく知られているが、実際のヘラクレイトスの著作断片にこの言葉はなく(あるいは失われ)、後世の人が作った言葉であるともいわれる。「同じ河に二度入ることはできない」などの表現にその意味合いが含まれていると思われる(疑義もある)。また、「万物は一である」とも「一から万物が生まれる」とも述べ、哲学史上初めて、「根源的な一者」と「多くの表面的なもの」との関連を打ち出した人物としても注目されている。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
相互リンク
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2007年11月11日

座布団の舞の注意事項

危ないですもんね。
でもこれがなんとも相撲の醍醐味のような気がします。

座布団の舞(ざぶとんのまい)とは、大相撲の取り組みにおいて横綱が格下の力士に負けた時に、観客が土俵に向かって自らの座布団を投げる行為のことである。

以前は平幕力士が横綱に勝った時にのみであったが、最近は三役級の力士が横綱を破った時であっても投げられる場合が多い。また、横綱以外の力士でも、その力士の優勝が決まったときに投げられる場合もある。
歴史
明治時代には、ひいきの力士にご祝儀をあげる目的で、羽織などの個人を特定できるものを投げ、呼び出しまたは力士本人がそのひいきに、返却かたがたあいさつにいくことでご祝儀をもらうという習慣があった。現在の座布団投げは、その記憶を引き継いだものという説もある。

現在では上記のような意味は当然なく、横綱に対する野次的な意味、勝った力士に対する祝福の意味、はたまた取り組みそのものに波乱が起きたという意味で座布団が舞うものと推測されている。


注意事項
本場所中において館内で座布団を投げる行為は基本的には行ってはならない行為である。投げられた座布団が他の客や土俵上の力士・行司に当たって怪我をする恐れがあるため、館内放送でも投げるのを止めるように、との注意が流される。しかし伝統として受け継がれてきたためか全くと言っていいほど守られる様子もなく、協会側も座布団の撤廃・固定などといった直接的な禁止へ向けた取り組みは行っていない。

ただし、2007年9月場所から、入場者に配付される取組表に、座布団や物を投げて人に怪我をさせた場合は、暴行罪・傷害罪に該当する場合があります。物は絶対に投げないようお願いいたしますという注意書きが印刷されるようになった。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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